災害に思う

先週は、いろんな自然災害がやってきた。
自宅も、暴風で雨戸一枚が吹っ飛んだ。
飛ぶ前に、その一枚が風にたわんでいたこともわかっていたが、
どうしようもなかった。
昨日、なんとか雨戸をはめてはみたが、使い物にはならない・・・。
職場でも被害が激しく、ある一室は導入されたばかりのパソコンがすべてだめになってしまった。
窓が割れ、その風が入り口のドアも吹き飛ばした結果、
その部屋が水浸しになってしまった。
外も信じられない風の勢いで、こんなものが飛ぶかと思うようなものが、
吹き飛んで危うく近隣の民家に被害が及ぶところであった。
職場のシンボルとでもいうべき桜の木も、老木であったせいもあるが、
その枝はバキバキに折れてしまった。
そういう物的被害もひどかったが、
なんといっても停電の被害。
こんなに長い間の停電は、生まれてこの方経験したことがあっただろうか?
小さい頃台風が来たときに、停電した記憶がかすかにあるが、
そのときは比べものにならないほど、現代生活は電気に頼っている。
停電になるとできないことがこんなにもあるかと思うほど、不自由な生活だった。
我が家では、8時間ほどの停電ですんだが、
阪南市に住むいとこのところは、停電が数日間続いた。
8月の終わりの台風直前の時に、母が泉佐野の病院で簡単な手術、入院となったが、
よくぞ早かったもんだと思った。
今回の台風の時だったら、入院していても危ないところだった。
職場では、台風が吹き荒れているさなか、地震もあったそうだ(私はすでに帰宅していた)。
風の勢いで揺れているのか、地震なのかわからないほどで、
恐ろしかったそうだ。
そんな地震でも恐怖を感じるが、
もっと大きな地震が北海道で起こった。
これは真夜中だったから、さぞかし北海道の方々は恐怖を感じただろう。
今回の台風で孤立化した関西国際空港にいた人々、
帰れない、動けないことで不安はたくさんあっただろうが、
北海道自身も孤立化、停電、各地の想像を超える被害で、
北海道民は不安でいっぱいだったと思う。
あの8時間ほどの停電でも、不安だったし不便だった。
大規模停電の中では、「不安」「不便」という単語だけでは表現できないほどのものがあったと思う。
自然災害は恐ろしい。
それまで人間は文明によって、より快適な生活ができるようにがんばってきた。
それが一瞬のことで破戒されてしまう。
そして「快適」な生活は、あっという間に不快な毎日になってしまう。
台風はまだ予測できるし、少しずつ準備もできるし、
ある程度心づもりもできる。
それでも、その被害の大きさに呆然とさせられる。
地震は予告なくやってきて、甚大な被害だけを残していく。
昨夜、震度1の地震があった。
こんな時だから、震度1でも、その後もっと大きな地震が来るのではないかと身構えてしまう。
仏壇に手をあわす。
どうか守ってくださいと。
守ってくれたおかげか、その後何事もなかったが。
快適な生活ができる文明、文化が発達すればするほど、
災害がもたらす生活のリセット、その差は大きい。
かつて台風が来たときには、どうしたか、
今回思い出した。
快適な生活に惑わされて、こんなときはどうすべきか、
考えるのを忘れていた。防災グッズを用意するだけでは済まされない、生活の知恵。
それを再確認した。
それを教えてくれるにしては、代償が大きかった今回の自然災害。
もとの生活に戻れるには、どれだけの日々が必要だろう?
それだけの時間が、人間に与えられた試練でもあり、再確認の時間なのかもしれない。

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