円谷幸吉さん

為末大さんのブログを見ていたら、「円谷幸吉物語」を読んだというのがありました。
同じ陸上人として、興味深く読まれたようです。

「父上様、母上様。幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。何卒お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。」という遺書を残して自殺した円谷さんのことは、私も何かで読んだことがあります。
たぶん、好きで走り出していたのに、周囲の期待がだんだんと高まり、好成績を残した結果、さらにその期待は高まり、本人を押しつぶしてしまったのでしょう。
生きている限り、前を向いて走り続けなければならない運命に、「疲れ切ってしまって走れなかった」円谷さん。その苦しみをわかってあげられる人もなかったのでしょう。

よく「がんばれ」という言葉の重みを、考えます。
周りから「がんばれ」というのは簡単です。
しかし、「がんばる側」の本人にとってはどうでしょうか?
自分なりに精一杯がんばっているのに、さらに「がんばれ」といわれることは…。
かえって、自分のがんばりが認められていないような気にはならないでしょうか?
それでも、「がんばれ」といわずにはいられないときがあります。
そんなとき私は必ず、「がんばれという方は簡単だが、しかし、がんばれとしかいってあげられない。」というような話をします。「よく頑張ってる。その調子、その調子。」とか・・・。
伸びきったゴム紐をさらに伸ばせといっても無理なんです。伸びきっていることを認めてあげないと・・・。

本当の戦いは、手に入れてしまってからだと為末さんはおっしゃってます。
「オリンピックのリレーの後に末續と話をしたのを思い出します。喜びに沸くチームの中で、一言ぽつりと『これでメダル以外は許されなくなっちゃったね』と呟いていました。」
一度好成績を手に入れてしまえば、「つぎはもっと!」と人は望んでしまいます、本人以上に。
本人だって、さらに上へと行きたいはずです。
実は私も、世界陸上あたりから、リレーはメダルねらえるんじゃあないかと勝手に考えていました。
そう考えたのは、私以外に何千人、何万人といたに違いないのです。
その周囲の期待に応えるか、押しつぶされるか、それは本人次第といってしまえば元も子もありませんが、本人がまじめであればあるほど、まともにその期待を受け止めてしまうのではないでしょうか?
4×100メートルリレーでメダルを取れたのは、神様が朝原選手にくれたご褒美だと、私は思っています。
次の四人がメダルを取れるかどうかは、次の四人次第です。
末続選手に過度な期待がかからないように、期待に本人たちが押しつぶされないようにと願うばかりです。

「願わくば、次の円谷幸吉が出ぬように。目の前で島の子どもたちが走り回っています。元はどの選手もこの風景が出発点なのに。なんだか複雑な気持ちになりました。」
まさしく、そうです。
最初は、みんな走ったり跳んだりすることが好きだったからこそ、その道に進んだはずです。
為末さんも一度は華やかな世界へ出た人。今も、もちろんその舞台には立てるはずですが、「痛みとともに走る」と決意し、現役を続行しようとしている為末さん。いつも頭の中では、「走る」事を考えているようです。
それでいいと思うのです。
一流の選手は、いつまでも一流ではいられません。
本人が満足できればそれでいいのです。
それを応援する一ファンでいいと、私は思います。

「円谷幸吉物語」を私も読んでみたいと思いました。

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