火事と引退

大阪の難波で、火事があった。犯人は逮捕されたようだが、犯人は自ら持ち込んだキャリーバッグの中の新聞紙などに火をつけたということで、調べに対し、「生きていくのが嫌になった。人が死ぬかもしれないことはわかっていた」と話し、容疑を認めているという。
帰宅途上の車の中でこのニュースを聞いたとき思わず、「ええっなんてよっ
「生きていくのが嫌になった」からといって、自分は助かり、何の関係のない人たちが、たまたまそこに居合わせただけの人たちが命を失う。なんて不条理な
友人にまでけがを負わせて、「あんたは何様や
自分の人生、どう生きようが勝手だが、他人を巻き込むのはよくない。当たり前のことだ。
・・・こう全く関係のない他人の私は怒ってもみるわけだが、犯人には犯人なりの論理があるのかもしれない。
46歳にして無職。何があったのかわからないが、何もせずして無職なら、「あほか」といってしまいそうだ。無職に至るには、社会の諸問題が背景にあるかもしれない。本人の力だけではどうにもならないものがあったかもしれない。
・・・それにしても・・・だ。多方面に迷惑をかけ、いろんな人たちを不幸にし、罪を背負い、この先さらに暗い気持ちで生きて行かなくてはならない。犯人自身も、いっそう不幸になったはず。
犯罪って、結果を考えないからこそ、起こしてしまうのか?結果どうなるって、よ~く考えれば踏みとどまるはず。
犯人のこの先の暗い人生は、まだ自分自身が起こしたことだから、仕方がない。しかし、この犯人の家族は?
たいていの場合、このあと取材陣が押し寄せる。どこでどう調べたかはわからないが、勝手な抗議の電話が鳴る。
家族にとって、不幸この上ない。
こうした犯罪のニュースを聞くたび、家族の人たちのことが心配になる。出かけることもままならず、精神的苦痛から肉体的苦痛にいたり、本当に気の毒である。

そんな犯罪のあった今日、一人の男が引退する。
夕方のニュースは、この火事のニュースの後、清原一色だ。
同じく引退する王監督に花束をもらい、あのイチローが観戦する中、男は最後の花道に立つ。
いつものフルスイングで。
今夜はこの後、清原関係のブログも増えるだろう。
その引退試合のある日、陸上の為末選手が現役続行を発表した。
「走りたい気持ちに逆らえない。ぼろぼろになりながら走るということも幸せと思い、行けるところまで行ってみようと考えた」と。
朝原選手の北京でのリレーを男泣きに泣きながらも見ていた為末選手。一度は華々しい舞台にも立った選手が、「ぼろぼろになりながらも走る」という。なんてすてきなことだろうと思う。
ほんの短い時間だが、精一杯力を出し切ろうとがんばる。その結果に満足できなくて、さらに次の試合へと心ははやる。100%思い通りの結果なんて、本当にわずかな確率でしか出てこない。
私自身も、書活動しているときはそうだった。何枚、何十枚と書き続けても、満足いかない。満足できた事って、もしかしたら一回もないかもしれない。一回も経験できないまま、筆を置いてしまった。
清原選手は満足できただろうか?
為末選手は満足できるときが来るだろうか?

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この記事へのコメント

ひまわり
2008年10月02日 10:03
最近の殺人の傾向にだれでもよかった、1人で死ぬのは怖いなどわけのわからない理由が多い。たとえ逆恨みであろうともこの人が憎いと思って殺すのなら理由にはなるかもしれませんが、人間の人生を変えてしまう殺人という行為がこんなに簡単に行われていいのだろうかと怒りを覚えます。
人間は罪深いものであるのでしょうから、後で修正のきく犯罪であれば少々は許されることかもしれませんが命に関しては二度と元に戻ることはできないものです。でも我が家でもその命をどう考えているんだろうと思うことがあります。
自分は生まれてきてはいけない子だったとか、死んだほうがましだとか・・・
そういう態度でしか自分の存在をアピールできないのかもしれません。
1つのことにしか目を向けることができないというのは本当にもったいないなと思います。でもそのことには自分で気づくしかないのですよね。
人間最後の数年の生き方でその人の人生が幸せと感じるかどうかが決まると聞いたことがあります。その瞬間はいつというのは神のみぞ知るというところでしょうが、関白宣言ではないですが、最後にいい人生だったと言えるよう日々精進ですかね。

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