『絶歌』を読んでみました

少し話題になった時期は逃したかもしれないが、
HPを開いたということで再び注目された「少年A」。
彼が書いた『絶歌』を読んだ。
書店でも見納めかというときに、最後の一冊(!?)を買い求めたまま、
2,3週間読まないままだった。
昨日、読書の時間がとれたので、
この本を読んでみた。
最初は、現状と事件に至るまでの経過。
短い文章で、淡々と書かれていた。
その内容には、彼の幼い頃の、思わず読み飛ばしてしまいたくなるような内容の経験があった。
驚いたのは、その内容描写の細かいところだ。
誰だって、「記憶」というものは曖昧になるであろうに、
彼の「記憶」の描写は細かい。
もしかしたら、脚色されているところ、
記憶の中で美化されたり、逆に醜化されたりしたところもあるだろう。
それでも、淡々と筆は進んでいる。
途中から、彼なりにいい思い出として残りつつある出来事も書かれてくるのだが、
この辺りから彼の表現は、いっぱしの作家のごとくうまくなっていく。
もしかしたら、ゴーストライターが書いたのではないかとも思われるほどだ。
しかし、彼自身、読書に明け暮れた時間があったということも書かれていたので、
そのときに身についた表現力かもしれない。
彼なりの苦しみ、もだえ、そして周囲を傷つけたこと、
被害者へのわびなども語られていく。
精神の異常を来しそうになるほど、一番苦しんだのが、
被害者の親御さんが書いた本を読んだときだそうだ。
そのとき「罪の意識」を彼なりに感じた、
いや、「罪の意識」に追い詰められたようだ。
彼を主体とした表現であるので、
その内容が客観的にみて真実かどうかはわからない。
しかし、ここまで冷静に過去を振り返り、
表現したこと、
それはある種「異常」かもしれない。
彼は、幼い頃から「障がい者」だったんだろう。
簡単に「障がい者」といってしまうべきでないのかもしれないが、
どこかに「障がい」を抱えていたのだろう。
「障がい」という言い方はそぐわないかもしれないが、
何か幼い頃から違っていた。
それに気づかなかった本人、周囲、
だれにも責任があって、責任がないのだろう。
「誰が悪い」とは簡単には言えないが、
やはり「少年Aが悪い」。
この事実だけは変えられない。
彼は彼なりに、これからも苦しみ続けるだろう。
そうならないように、人間はどこまで欲望を抑え続けることができるのか?
その限界に至るまでに、「自分」を保ち続けること、
それが「人間らしく生きること」なのだろうか?
今頃になって、少年Aが、
顔写真を公開したり、HPを開設したりしているのは、
単におもしろ半分なのではなく、
自分への制裁として行っているような気がするのは、
私だけだろうか?
この本に対する世間での評価は低い。
私も決して高い評価をしようというのではない。
最初から批判的な目で読むのではなく、
真っ白な気持ちで読んでほしいとでもいっているような、真っ白な表紙。
それをあえて書店のカバーで隠して読んでみても、
私には100%彼を責め続けるなんていうことはできない。
過日、近しい人に「あなたはまっすぐすぎる」といわれてしまった。
物事には裏があると踏んでみなければいけないと。
やはり私は、この本をまっすぐに見ているのだろうか?
物事をちょっと斜めに見てみることによって見えてくる「違った」もの。
それを見つける力が、まだ私には不足しているようだ。
もう半世紀も生きているというのに・・・。
でも、この本のすべてが「嘘くさい」ものだとは私にはどうも思えない。

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